民主主義社会に生きる全ての市民は,「政治に関心をもつこと」が求められています.しかし実際には,若者の政治離れや低い投票率などがしばしば指摘されます.市民が政治に関心を持たないと民主主義はうまく回らないはずなのに,現在の日本において(少なくとも制度上)民主主義が危機を迎えているとは言えないでしょう.あるいは近年において「民主主義の危機」を訴える際は,何らかの政治的意図を伴っていることがほとんどで,それこそがむしろ健全な民主主義を支えているようにも見えます.
では,多くの日本人は政治にさほど関心を持っていないのに民主主義がうまく機能するのはなぜなのでしょう?
この点について博士論文では,「政治関心」の中身について,テキストマイニング(内容分析)と呼ばれるテキストデータの分析を通じて,「民主主義などの政治規範に対する関心(規範的関心)」と「税金などの政治的利害に対する関心(利益的関心)」に分けました.そしてこれら2つの関心がどのような経路で形作られるのかについて,「加齢効果」(政治的社会化)に注目して,サーベイ実験(survey experiment)と呼ばれる手法を用いて分析しました.
その結果,若者は政治の規範的な側面を,一方で年長者は政治の利害(特に増税などのマイナス利益)の側面に注目して関心を高めることが明らかになりました.さらに,若いうちに持っていたはずの「規範的関心」は,年齢を経て色々な社会経験を積んでいくにつれて「利益的関心」に変化していくことも実証的に示しました.
よく「政治は価値の権威的配分(イーストン先生の定義です)」と言われますが,誰もが利益の分配を求めれば,社会は途端に立ち行かなくなります.そう考えると,この研究から得られる一つの知見は,「政治に無関心なダメな奴ら」と揶揄される若者の規範的関心や無関心層は,実は利益に群がる年長世代の「過剰な」関心を和らげ,民主主義をうまく回すための「あそび」(クッション)になっているのではないかとの点に集約できるでしょう.
こうしてデータを使った実証的・計量的な分析を通じて,「今どうなってんの?!」を(少しずつですが)描き,繋いでいくことで「今後どうするべきか」という処方箋を与えることができると信じて研究・教育活動をしています.
近年,世界中の政治過程において,これまでにない「地殻変動」が起きています.たとえば,トランプ大統領の誕生やイギリスのEU離脱は記憶に新しいでしょう.日本に限定しても,「慰安婦像」の設置問題にもわかる対韓関係,北朝鮮ミサイル問題,尖閣諸島をめぐる対中外交,北方領土をめぐる対露外交,そして「わからないずくめ」のトランプ大統領をめぐる対米関係など,悩みのタネは尽きません.
では,日本の世論は,こうした厳しい安保・外交環境の中で,どのような戦略を望み,あるいは対外関係を考えているのでしょう.
最近はこのような現実的な問題に関心をもっており,(1)集団的自衛権の限定的な行使容認をめぐって,なぜ世論は受容するのか,(2)韓国との諸懸案に対する世論変動,(3)いわゆる「ネット右翼」の主張する言説は現実の世論にどのような影響を与えるのか,の3つのテーマに取り組んでいます.
とくに現在は,(3)のテーマを重点的に分析しています.「ネトウヨ」に関する研究は,意外なことに(実証)政治学による分析はほぼ皆無で,社会学や社会心理学の研究蓄積に集中しています.あるいは「論壇」と呼ばれる人々が様々な分析結果を報告していますが,それらは印象論だったり,統計学的な妥当性を欠く分析がほとんどです.さらに既存の研究は,排外主義に注目したり,どのような人がネトウヨかの分析が多く,なぜネトウヨ化していくのかという「因果関係」にまでは踏み込めていません.
また「便所の書き込み」ともいわれる「2ちゃんねる」(やまとめサイト,近年話題になっているフェイクニュース)などでの怪しい情報を信用してしまう人が多数を占め,それにもとづいて「投票」したとしたら…近年の政治劇を見ても「さすがに皆そんな馬鹿じゃないよ」と笑って片付けられないでしょう.そこで私は,前述の実験的手法やテキストマイニングなどの「妥当な」統計的手法を利用した上で,「陰謀論」や「デマ」といった政治的なうわさ(Political Rumor)について,なぜ・どのように怪しい政治情報を信じ,また政治的な結果につながっていくのかについて研究をしています.
こうした「ネットの怪しい情報」を信じる人は,以前は一部の人だと言われていましたが,「まとめサイト」などを通して日本の世論にもじわじわと侵食しています.実際に,秦が行なった全国世論調査において「民進党は反日政党だと思うか」と尋ねた所,実に4割の人々が「同意」もしくは「やや同意」と回答しました.確かに民進党に対する世論の評価は凄まじく低いのではありますが,嫌いな理由が「反日」という”ネット的な“考え方にもとづいている(しかもネットをさほど使わないような人々においても)とは私も思いもしませんでした.
こうした研究テーマは,ややもすれば「色物」と思われるかも知れませんが,実は諸外国でも同様の枠組みにもとづいた研究の蓄積があり(たとえば,B.Swire先生やA.Berinsky先生の一連の研究がProcessing political misinformation: comprehending the Trump phenomenonにまとめられています),American Journal of Political Scienceという一流論文誌にも同様の論文が載っています.
秦としては,日本の政治文化や文脈を「利用」(適合的事例と)して「日本のイマを正確に記述する」と同時に,「政治的うわさの受容過程」という政治心理学における理論(一般化可能性)を広げられるような研究にしていきたいと思っています.
「戦後日本を二分するといえばいつ?」と聞かれば,とくに若い学生の皆さんはやはり「2011年3月11日」と応えるのではないでしょうか.私が言うまでもなく,M9.0(日本の観測史上最大)の超ド級の巨大地震,超ド級の津波,そして福島第一原発事故は,日本の在り方を大きく変えました.こうした「危機」は,私たちの意識に影響を与えるだけでなく,組織や団体の考え方にも大きな影響を与えます.
この点に注目して私は,(1)地震大国日本において,日本の基礎自治体(とくに南海トラフ地震に備える近畿圏自治体)はどのような対応を考えているのか,(2)東日本大震災のような巨大災害は人々の政治意識にいかなる影響をあたえるのかの2点についても研究しています.
とくに(1)の方は,2015年度に(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構で研究員をしていたことから,研究をスタートさせました.南海トラフ地震が発生すれば,東日本大震災の7倍近い死者が出ると内閣府で試算されています.このような大規模災害に対して,個人の防災意識ももちろん大事ですが,巨大災害が襲ってきた時に「意識」だけでは救われないのも事実です.だからこそ基礎自治体(市区町村)をはじめとする行政は,さまざなま備えをしておく必要があります.しかし御存知の通り,日本の財政状況は極めて厳しく,基礎自治体ではより深刻ですから,単独の自治体だけで対応しきれるわけがありません.さらに災害規模を考えると府県をまたいで相互に助け合わなければどうしようもないのが実情です.そこで関西では,「関西広域連合」という枠組みを作り,広域的な災害対応を検討しています.関西広域連合は確かに(阪神・淡路大震災を経験した)兵庫県をはじめ災害対応に力を注いでいますし,甚大な被害が予想される和歌山などは積極的に関与しようとしています.しかし一方で,海に面しておらず津波がこないし,揺れも(他の地域に比べて)弱いことが予想されている奈良県の立場に立ってみて下さい.なぜ厳しい財政状況の中で「他所様」をたすけなきゃいけないのか…そう思っても不思議はありません.こうした自治体間の防災に対する「温度差」に注目して,それが防災意識や防災政策にいかなる影響を与えているのかについて,計量的な分析を行なっています.
(2)の方ですが,こちらは(1)とは趣きが異なります.唐突ですが,皆さん「死」は怖いですか?怖いですよね.僕もできるものなら死にたくありませんし,普段はそんなことを意識もしません.しかし東日本大震災直後のことを思い返して下さい.当時,私自身は神戸に住んでいましたが,3月11日の夜は「今晩にでも福島原発が爆発したらきっと自分も長生きできないだろうな」と思って一睡もできませんでした.皆さんも多かれ少なかれ,テレビを通じて「死」を目の当たりにしたことでしょう.社会心理学では,こうした「死の恐怖」は人々の考え方を大きく変えることを理論的に説明する『存在脅威管理理論』があります(詳しくは,脇本竜太郎.2012.『存在脅威管理理論への誘い:人は死の運命にいかに立ち向かうのか』を参照ください).私の研究は,存在脅威管理理論にもとづいて,被災地で一時的に急激に高まった死への恐怖心が政治的な保守化を促したのではないかの仮説を考え,その研究をしています.もし私の仮説が正しければ,地震などの災害が来るたびに保守的な人が増えるのですから,端的に言えば保守系の自民党はその時期にこそ「選挙」をしようとするかもしれませんし,リベラル系の民進党は選挙を伸ばそうとするでしょう.こうした「非人為的な要因」が,知らず知らずのうちに「体系的に」我々一人一人の政治意識に影響を与えている(かもしれない)と考え,その影響について考察しています.
東日本大震災は確かに凄惨なできごとでしたが,地震大国日本に生まれてしまった我々にとっては「教訓」として次につなげるしかないですし,そのためなら「分野」に囚われることなく,あらゆる知識を総動員する必要があると考えています.つまり政治学だけでなく,行政学や公共政策((1)の課題),社会心理学((2)の課題)など他のアプローチ方法と政治学の融合を図ることで,「予想外」を予想していこうというのがこの研究をする際の私のモチベーションの一つです.